25歳女 おまじないで彼を振り向かせました
はじめまして、現在保育士として働いている25歳女です。
昔からおまじないを本を読むことが好きだったのですが周りの人にバレたら恥ずかしいという気持ちがあり試したことはありませんでした。
現在は結婚して夫婦二人で仲良く生活をしているのですが、おまじないを試してみたのは現在夫である人と出会ってからのことでした。
今で言うマッチングアプリで出会ったわたしたち、旦那はあまり恋愛経験豊富な方ではなく、女の人の扱いに慣れていないというような感じでした。
最初に会った時から彼に一目惚れをしていたわたしは「どうしても彼と付き合いたい…」と、必死で作戦をねっていました。
そんなことに全く気づいていない彼は定期的にドライブや映画を観に連れて行ってくれましたが肝心の告白はまだで「会ってくれるけども告白をしてこないということはただの暇つぶしに思われているのかな?」と悩んだりもしました。
ネットで好きな男性を振り向かせる方法を調べてみたのですが、その中におまじないを紹介しているサイトがありまして、悩みすぎて精神的にも少し参っていたので神頼みというような気持ちでその中のひとつを試してみることにしました。
わたしが試してみたのは絆創膏の内側(ガーゼがついている部分)に彼の名前を書き、左手の薬指に貼っておくというものでした。
そんなに信じていたわけでは無いのですが、毎日絆創膏を変えるようにし、彼の名前はできるだけ丁寧に心を込めて書くようにしました。
すると次のデートの時、左手の薬指につけている絆創膏に気づいた彼が「怪我?可哀想に…」と心配してくれました。
まさか心配してくれた彼と付き合いたいがためにおまじないをやっているなんて言えず「包丁で切っちゃって…」なんて適当にごまかしておきました。
夜になり、そろそろ帰る?という話をしているときに「自分に自信がなくてなかなか言えなかったけどもよかったら付き合って貰えませんか」と彼から告白をされました。
返事はもちろんOK。
今でもおまじないをしたことは内緒にしています。
46歳 女 恋のおまじないが家族にバレた恥ずかしさ
40代の二人の子どもを育てる主婦です。
私が中学生の頃、消しゴムに好きな人の名前を書くと恋が実る、というおまじないが流行りました。
結構な人が試していたと思いますし、付き合っている子達や、両想いとされている子達も、消しゴムに好きな人の名前を書いていました。
流行っていたので、消しゴムに書いてある名前を見る子達もいました。
見られてはやされて困る子もいれば、両想いであれば、公認や確かめ合いのようなツールとして利用していた子もいたと思います。
そんないつ自分の思いがさらけ出されるかもしれない状況下で、私は好きな人の名前を書く勇気はありませんでした。
はやされる事がとても怖くて、おまじないをする前に、自分の気持ちを大勢の前で知られる事を恐れました。
でも、おまじないで叶うなら、という思いもありました。
今思えば、少女時代を振り返ると、とても純粋だったんだな、なんて思います。
私は、学校に持って行く消しゴムに書かなければいいんだ、と家の消しゴムに名前を書く事にしました。
持っていかなければ、バレない、と思いました。
しかし、思わぬところに落とし穴があったのです。
母が、私の部屋を掃除している時に、白い消しゴムに何か書いてある事に気付き、その時、母は私のカンニングを危惧したようで、ケースを外すと、名前が書いてあったので、人の消しゴムを持って帰ってきていると勘違いしてしまい、夕飯の時に、人の消しゴムはちゃんと返しなさいよ、と言われました。
本来であれば、それで終わってしまう内容なのですが、私には姉がいて、姉もそのおまじないは知っていたので、姉が、それっての好きな子の名前を書くおまじないでしょ、と家族の前でバラされてしまいました。
母親に対しても恥ずかしかったのですが、父親に好きな男の子がいる事を知られた恥ずかしさと、そんなおまじないを自分がしている事を知られた恥ずかしさでいっぱいになりました。
学校でなければバレないと思っていましたが、家族にバレて、とても恥ずかしかったです。
猫の帰るおまじない短歌を書きつけるだけで簡単
40歳を軽く超えるおっさんですが、おまじまいのエピソードお聞きください。
もうかれこれ30年以上前の話になります。
当時、うちの家には半野良や外飼いの猫が3匹ほどいました。
ほとんどの時間、うちの台所周辺や庭にいてるのですが、時々外へ出ていくような出入自由な環境でした。
ですから、雄猫なんかは一度出ていくと2~3日帰ってこない日もありましたが、だいたいは朝晩の点呼の時間じゃないですが、祖母が餌をやる時間や、炊事の時間帯には定位置でじっとしていました。
ある時、一匹の猫が帰ってこなくなりました。
1週間は超えていたと思います。
まぁ雄猫の事やから喧嘩でもしてやられてしまったか、車に轢かれてしまったかなどと話していました。
そんな時、うちの祖母がなにやら紙にマジックで書き始めました。
「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」という短歌を書き上げました。
たしか最後に猫の名前も書いていたと思います。
その短歌を書きつけた紙を普段、猫が使っている食器代わりの洗面器の下にしきました。
見ているこっちは「ポカーン」状態です。
当時、私は中学生か高校一年くらいで、百人一首を憶える過大か何かで結構な歌を憶えていました。
祖母が書き付けたのは、在原行平の歌で、百人一首では中納言行平になっている人の歌とわかりました。
「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」は、行平が因幡守を仰せつかり、都を後にする時に読んだ歌とされています。
「別れて因幡の国へ旅立ちますが、因幡の国にある山の峰に生えている松の木のように、私の帰りを待つと聞いたならすぐに戻ってきますよ」という意味の歌です。
短歌で別れの歌では名歌とされているのですが、これが猫と何の関係があるのか全くわかりません。
とにかく、洗面器の下に敷いた翌日か翌々日、いなくなってから2週間ぶりくらいに、行方不明の猫が帰ってきました。
後日、祖母に聞いたら、昔から猫がいなくなった時のまじないみたいなもん。
生きてたら大体帰ってくると言っていました。
それからも何回か実行していました。
その度に帰って来てましたから効果があったのかもしれません。
それから20年くらい、いまから10年くらい前の、ひょうんな事からこの話をする事があって、話してみると、猫や犬を飼ってた人は結構知っていました。
ただ、歌は同じなんですが、書き付けた紙の扱いが若干異なってました。
ある人は玄関に貼る。
ある人は上の句だけ書いて食器の下に入れるなど、かなりのバリエーションがありました。
しかし、書き付けるうたみんな同じ「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」でした。